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Saturday, November 19, 2011

korean posser 朝鮮の砧、洗濯棒

http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dairokujuurokudai

第66題 砧(きぬた)
イデオロギーの歴史への疑問
「いま日本では朝鮮問題に関心を寄せる人が多いが、それは民族受難とそれに対する闘いの歴史というイデオロギーに重点があるようで、普段の日常生活に目を向ける人は少ないという印象を持つ。砧はかつての在日朝鮮人の生活ではごく普通に見られた光景であった。今それが捨て去られ、記憶からも消えつつある。イデオロギー的な観点からすれば、砧なんて些末で枝葉末節、何と下らなく、つまらないことを研究するのかとお叱りの声が聞こえそうである。しかし生活という具体性からかけ離れた在日朝鮮人像を描くイデオロギーには、私は大きな違和感を抱く。」

これは拙稿「砧(きぬた)―在日韓国人女性の民俗資料の紹介と日韓の比較―」(『歴史と神戸』199、200、203号)の最後の一節です。
この論文は、在日朝鮮人のおばあさんが嫁に来て以来ずっと使い続けた「砧」の道具をご本人から頂いたのを契機に、調査研究を重ねて書いたものです。その際にこのような苦言をあえて呈しました。学術論文には相応しくないのは当然ですが、論考自体がそう堅苦しいものではなくエッセー風でしたので認められたようです。

砧とは?
砧は汚れを落とす洗濯の後の仕上げ工程で、皺を伸ばして艶を出すために布を打つ道具、もしくはその行為のことです。現代風に言えば、アイロンかけに相当します。砧は洗濯に続く一連のものですが、工程も目的も道具も用語も違うものです。この違いは日本も朝鮮も同じです。
考古学では藁打ちで使うような形態の木槌を「砧」と呼ぶことがありました。しかし渡辺誠の『ヨコヅチの考古・民具学的研究』(註1)によってその誤りが指摘され、以降「横槌」とされています。ただしこのような誤解はここだけでなく一般的に広くあるようです。

朝鮮の洗濯と砧
戦前の朝鮮総督府の文献に次のような解説がありました。

「朝鮮の天地に響く砧の音は春夏秋冬絶間なく何処からともなく聞える。昼の間洗濯に身を委ねた婦人は日が暮れると其の布帛を木や石の台に載せて夜の更けるまで打ち続けている。秋、夜更けて遠く近く打ちしきる砧の音は何となく旅人に物哀れさを感ぜしめる。」(註2)

朝鮮の洗濯は、棒(木槌)による叩き洗いが一般的でした。女性たちは川辺に行ってこの方法で汚れを落とした後に、家に持ち帰り砧で打って仕上げたものです。洗濯は屋外、砧は屋内作業です。また洗濯と砧は同じく布を打つのですが、洗濯の叩き棒(槌)は羽子板状で、もう一方の砧打ちの棒(槌)は野球のバット状です。そして洗濯の棒(槌)は片手で持って打ちますが、砧の棒(槌)は二本を両手にそれぞれ持って交互に打ちます。また朝鮮語で洗濯は「パルレ」、砧は「タドゥミ」です。

叩き洗いを「砧」とする誤解
朝鮮の叩き洗いを「砧」とする間違いを見かけます。例えば50年以上前のオールロマンス闘争の契機となった小説『特殊部落』(1951)(註3)は在日朝鮮人をテーマにしたものですが、そのなかに「砧打つ洗濯女」という表現が出てきます。砧は日本社会では明治時代頃に廃れて見ることがなくなりました(註4)。作者は日本人なので、砧がどういうものかを正確に知らなかったために生じた間違いと思われます。

しかし在日朝鮮人社会では1960年代まで砧が使われていました。1971年の芥川賞受賞作品に李恢成の『砧をうつ女』がありますが、そのなかで次のような砧打ちの描写があります。

「家で洗濯すると、母は乾いた着物を重ねてトントンと砧でたたいたものである。‥‥重ねた衣服類に布地をかぶせて、砧で気長にうつのである。毎日のように見る光景であった。」(註5)

これは砧を正確にとらえています。在日朝鮮人である作者が生活のなかで実際に見てきたからだと思われます。

ところがそれから20年ほど経つと、次のような記述が出現します。

「韓国の民族衣装を語るとき、必ず砧打ちが登場する。‥‥洗濯のつど、糸をほどいて洗濯し、砧で打ち、汚れを落とすと同時に繊維を柔らかくする。そして糊付けをして、さらに砧で打ち、火熨斗をかけて布地を美しくのばす。」(註6)

ここでは砧打ちを2回もするように書かれていますが、最初のものは洗濯(パルレ)の叩き洗いであって、砧(タドゥミ)ではありません。砧は在日朝鮮人社会では前述のように1960年代まで、韓国では1970年代までは見られた(註7)ものですが、それ以降は見ることがなくなりました。従って著者はおそらく砧を実際に見たことがないので、このような間違いが生じたのではないか、と推測します。

最近の例では、大阪人権博物館(リバティおおさか)で在日朝鮮人が使用した砧の台の実物が展示されています。しかしキャプションは「洗濯の道具」となっています。しかも打つ棒(槌)は一本しかありません(「しおり」の写真)。ここは「砧の道具」として、棒を二本添えねばならないところです。

洗濯と砧を混同する誤解はかなり多いものです。それは実際を体験・見聞した人がいなくなるとともに、誤りが生じてくるということです。これはよくありがちな一般的現象と言えますが、早いうちに正しておかねばならないことでしょう。

宮城道雄の唐砧
宮城道雄は明治40年から大正6年まで朝鮮で過ごし、邦楽で名声を博していました。「唐砧(からきぬた)」はその時に作曲されたものです。これは筝と三味線による四重奏曲で、洋楽家から好評と共感を得ました。盲目の彼は朝鮮一の大検校の地位にまで上ります。(註8)
ところで砧は上述のようにこの時期の日本では廃れていましたが、朝鮮では盛んでした。彼はその滞在中に朝鮮女性が打つ砧の音を聞いたはずでしょうから、日本では聞かれなくなった砧の音色を思いつつ名曲「唐砧」を製作したのではないか、と想像しています。ただしその伝記(註9)では、そういったことは書かれていませんので、私の勝手な想像です。
宮城が朝鮮で活躍したというのは意外と知られていないようです。

(追記)
この「唐砧」について、宮城の曲を演奏する会では
「大正2年、宮城道雄が朝鮮に居住していたころ作曲したものです。曲の始めは秋の静かな夜にゆるやかに流れる漢江を表現し、次いで打つ手が非常に早い韓国の砧を、当地の女性が打つ様を巧みに描いています。」
と解説しています。(6月15日記)
http://www.botankai.com/top.html

(註)
註1 『考古学雑誌第70巻3号』(昭和60年3月)所収。
註2 朝鮮総督府鉄道局『半島の近影』(1936年4月)。なお引用にあたっては現代文に書き直した。
註3 この小説は差別小説とされて全文を読むことが長年できなかったが、近年になって『部落解放史・ふくおか80号』(福岡部落史研究会)に掲載された。また京都の部落史の資料集にも掲載されたと聞く。
註4 日本では洗濯後の仕上げは洗い張り(伸子張りや板張り)で行なうのが一般的になり、砧の風習はなくなっていった。なお世阿弥の名曲『砧』では、その能楽の舞台に往時の砧の様相を見ることができる。
註5 李恢成『またふたたびの道 砧をうつ女』(講談社文芸文庫)209・224頁
註6 金両基監修『読んで旅する世界の歴史と文化 韓国』(新潮社 1993年)190頁。
註7 伊藤亜人編『もっと知りたい韓国1』(弘文堂 1997)50頁に「七〇年代まではソウルのような大都会でもお婆さんが砧を打つ光景を稀に見かけることがあった。」とある。
註8 「関西発レコード120年〈24〉宮城道雄」(『神戸新聞』1997年12月24日)
註9 吉川英史『この人なり宮城道雄傳』(新潮社 昭和37年6月)

(参考資料)
砧とは具体的にどういうものか。日本では下記の絵画資料に砧が描かれています。時期は幕末と近代です。(5月18日記)
http://www.kobijutsu.co.jp/sumisho/010-pics/hok-3b.html
http://www.book-navi.com/hokusai/art/kinutal.html
http://www.yamatane-museum.or.jp/html-works(L)/uemura-shen-A0352.html


(追記)
大阪人権博物館(リバティおおさか)は最近リニューアルされて、砧の道具が展示されなくなりました。また民族学博物館(みんぱく)の韓国のコーナーに展示されていた砧の道具も今は外されています。前者は布を畳んで台に置いて打つタイプで、後者は綾巻という丸い棒に布を巻いて打つタイプです。二種類のタイプの砧だったのですが、今では両方ともに見られなくなりました。
朝鮮人が生活のなかで使用した砧の実物は、一般の人は見ることが難しくなっています。日本の砧の実物が消滅して今やどこの資料館でも収蔵されていないのと同じように、朝鮮の砧も消えていくのだろうかと危惧します。
韓国ではどうなっているのでしょうか。
2006年2月16日記

(追記)
朝日新聞の『窓』欄で、拙論が紹介されました。
この朝日のコラムについて、下記のような感想がありました。
http://iani.moe-nifty.com/590/2006/02/post_df29.html

砧に関する拙稿としては、
・「砧(きぬた)―在日韓国人女性の民俗資料の紹介と日韓の比較―」
(『歴史と神戸 199・200・203号』 96年12月、97年2・8月)
・「砧(きぬた)再論―日本と朝鮮の比較―」
(『大阪文化財論集Ⅱ』 02年11月)
があります。
2006年2月25日記

(追記)
砧と洗濯の混同事例
拙論で砧と洗濯とが混同されていると論じましたが、その実例が最近設立された在日韓人歴史資料館にありました。
http://www.mindan.org/upload/439384edd80ca.html
このなかの上から5段目の写真資料の説明が次のようになっています。

「(右)砧棒(きぬたぼう)故・張銀順さんの遺品。1930年代から使われていた=千葉県・張福子さん寄贈」

砧打ちに使う棒(木槌=横槌)を朝鮮語でタドゥミ パンマンイ、洗濯の時に打つ棒(木槌=横槌)をパルレ パンマンイといいます。しかし写真にあるものは、後者のパルレ パンマンイで、砧打ちに使うものではありません。従って「砧棒」という説明は間違いで、洗濯に使う棒(木槌=横槌)という説明でなければなりません。
2006年2月25日記

(追記)
二種類の砧の混同事例
2006年2月16日付けの(追記)で、砧には
Ⅰ、綾巻という丸い棒に布を巻いて打つもの
Ⅱ、布を畳んで台の上に置いて打つもの
の二種類があることを論じました。どちらもこれを横槌(木槌)で打ちます。
朝鮮ではこの二種類が使い分けられていました。Ⅰをホンドゥケ タドゥミ、Ⅱをノッ タドゥミと言います。(なお日本でも近世およびそれ以前に同じく二種類あったことが絵画資料から確認できます。)
ところが、これを全く混同して説明する本が出てきました。国立国語院(韓国)『韓国伝統文化事典』(教育出版 2006年1月 三橋広夫・趙完済訳)162~163頁。
内容は、一対の木槌(パンマンイ)を綾巻(ホンドゥケ)と間違えて、これに布を巻いて台に打つとしています。さらに掲載する写真はⅡの方ですが、「砧と綾巻」とⅠの方のキャプションを付しています。以上は根本的な間違いですが、他にも間違いが少なくありません。
ⅠとⅡは名称が異なり、使用法も違います。植民地時代の写真資料にも、両方のタイプの砧があります。伊藤亜人『もっと知りたい韓国1』(弘文堂 平成9年12月)50頁には、二種類の砧に触れています。従ってこれを混同するとは、あってはならない間違いです。
しかし韓国で権威あると思われる国立研究機関がこれでは困ります。立派な装丁で、綺麗に仕上がった本なのですが、このような間違いを見つけると、その研究水準はいかがなものかと思うところです。
(2006年3月26日記)

【語句説明】
タドゥミ(砧)        : 洗濯後の仕上げで、布を打って皺を伸ばし、艶を出す道具。もしくはその作業。
ホンドゥケ(綾巻)      : 砧で布を打つときに、その布を巻きつける棒。
ホンドゥケ タドゥミ(綾巻砧): 布を巻いた綾巻を打つ砧。Ⅰのタイプ。
ノッ タドゥミ(平たい砧)  : 綾巻を使わず、布を畳んで台の上に置いて打つ砧。Ⅱのタイプ。
タドゥミ パンマンイ(砧槌) : 砧を打つときに使う木槌。横槌。二本を両手でそれぞれに持って打つ。
タドゥミ トル(砧石)    : 砧を打つときに使う台。Ⅰタイプでは綾巻を固定する台、Ⅱタイプでは布を畳んで置く台。
パルレ(洗濯)        : 家で行なう洗濯。クリーニング屋がする洗濯はセタク。
パルレ パンマンイ(洗濯槌) : 叩き洗いの洗濯をする時に使う槌。片手で打つ。

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